天壌無窮と世界革命|The page here is under construction…
天壌無窮:故天照大神乃賜2天津彦々火瓊々杵尊。八坂瓊曲玉。及八咫鏡。草薙劒。三種寶物1。又以2中臣上祖天兒屋命。忌部上祖太玉命。猿女上祖天鈿女命。鏡作上祖石凝姥命。玉作上祖玉屋命。凡五部神1。使2配侍1焉。
因勅2皇孫1曰。『葦原千五百秋之瑞穗國。是吾子孫可レ王之地也。宜爾皇孫就而治焉。行矣。寶祚之隆。當下與2天壤1無上レ窮者矣』。
*『日本書紀』巻第二|神代下
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天壌無窮(テンジョウムキュウ):故れ天照大神、乃ち天津彦々火瓊々杵尊に八坂瓊曲玉、及び八咫鏡、草薙劒、三種の寶物を賜ひ、また中臣の上祖・天兒屋命、忌部の上祖・太玉命、猿女の上祖・天鈿女命、鏡作の上祖・石凝姥命、玉作の上祖・玉屋命、凡て五部の神たちを以て、配へて侍らしむ焉。
因て皇孫に勅して曰はく『葦原(アシハラ)の千五百秋(チイホアキ)の瑞穗國(ミズホノクニ)は、是れ吾が子孫(ウミノコ)の王たる可き地(クニ)なり。宜しく爾(イマシ)・皇孫(スメミマ)、就而治焉(ユキテシラセ)。行矣(サキクマセ)。寶祚(アマツヒツギ)の隆えまさむこと、當に天壤(アメツチ)と窮り無かるべし』。
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天業恢弘:神日本磐余彥天皇(諱彥火火出見)。彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊第四子也。母曰2玉依姬1。海童之少女也。天皇生而明達。意礭如也。年十五立爲2太子1。長而娶2日向國吾田邑吾平津媛1。爲レ妃。生2手硏耳命1。
及2年四五歲1。謂2諸兄及子等1曰。『昔我天神 高皇産靈尊 大日孁尊舉2此豐葦原瑞穗國1。而授2我天祖彥火瓊々杵尊1。於是彥火瓊々杵尊闢2天關1。披2雲路1。駈仙蹕以戻止。是時運屬2鴻荒1。時鍾2草昧1。故蒙以養レ正。治2此西偏1。皇祖皇考。乃神乃聖。積レ慶重レ暉。多歷2年所1。<自2天祖降跡1以逮2于今1一百七十九萬二千四百七十餘歲>。而遼遠之地。猶未レ霑2於王澤1』。
遂使下邑有レ君村有上レ長。各自分レ疆。用相凌轢。抑又聞2於鹽土老翁1 曰「東有2美地1靑山四周。其中亦有下乘2天磐船1而飛降者上」。余謂『彼地必當レ足下以恢2弘天業1光中宅天下上。蓋六合之中心乎。厥飛降者。謂是饒速日歟。何不2就而都之1乎』。
諸皇子對曰。『理實灼然。我亦恒以爲レ念。宜2早行1之』。是年也太歲甲寅。
*『日本書紀』巻第三|神武天皇紀
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天業恢弘(テンギョウカイコウ):神日本磐余彥天皇(諱彥火々出見)は、彥波瀲武鸕鶿草葺不合尊の第四にあたり給ふ御子なり。母を玉依姫と曰す。海童の少女なり。天皇、生れましながらにして明達。意、確如くます。年、十五にして立ちて皇太子と爲り給ふ。長り給ひて、日向國の吾田邑の吾平津媛を娶して妃と爲て、手硏耳命を生みます。
年、四十あまり五歳に及び給ひて、諸の兄及び子等に謂りて曰く『昔、我が天神(アマツカミ)・高皇産靈尊(タカミムスビノミコト)・大日孁尊(オホヒルメノミコト)、此の豐葦原瑞穗國(トヨアシハラノミヅホノクニ)を擧げて、我が天祖(アマツミオヤ)・彥火瓊々杵尊(ヒコホノニニギノミコト)に授けたまへり。於是に彥火瓊々杵尊、天關(アマノイハト)を闢きて、雲路(クモヂ)を披け、仙(ミサキ)蹕ひ駈ひ以て戻止ます。是の時に運(ヨ)・鴻荒(アラキ)に屬ひ、時(トキ)・草昧(クラキ)に鍾れり。故、蒙くして以て正(タダシキミチ)を養ひ、此の西の偏(ホトリ)を治す。皇祖皇考(ミオヤ)、神(カミ)に聖(ヒジリ)にまして、慶(ヨロコビ)を積み暉(ヒカリ)を重ねて、多に年所(トシ)を歴たり。<天祖の降跡ましてより以逮于今、一百七十九萬二千四百七十餘歳(モモヨロヅトセ マリナナソヨロヅトセ アマリココノヨロヅトセ アマリフタチトセ アマリヨホトセ アマリナナソトセ アマリ)>。而を遼く邈なる地(クニ)、猶ほ未だ王澤(ウツクシビ)に霑ほはず』。
遂に邑に君有り、村に長あら使めて、各々自から疆を分ちて用て相凌ぎ轢ふ。抑た又た鹽土老翁に聞きしく。曰く、「東に美地あり、青山四面に周れり。其の中に亦天磐船に乘りて飛び降れる者あり」と曰ひき。余れ謂ふに『彼の地は必ず以て天業(アマツヒツギノワザ)を恢め弘べて、天の下に光宅るに足りぬべし。蓋し六合(クニ)の中心(モナカ)か。厥の飛び降れる者と云ふは、謂ふに是れ饒速日(ニギハヤビ)か。何ぞ就きて都(ミヤコ)建らざめ乎。』
諸々の皇子たち對へて曰さく『理實(コトワリ)・灼然(イヤチコ)なり。我等も亦た恒に以ちて念(オモヒ)と爲つ。宜、早かに行まし給へ』。是の年、太歳甲寅。
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八紘為宇:三月辛酉朔丁卯。下レ令曰。『自2我東征1。於茲六年矣。賴2以皇天之威1。凶徒就戮。雖2邊土未レ淸餘妖尚梗1。而中洲之地。無2復風塵1。誠宜下恢2廓皇都1。規中摹大壯上。而今運屬2屯蒙1民心朴素。巣棲穴住。習俗惟常。夫大人立レ制。義必隨レ時。苟有レ利レ民。何妨2聖造1。且當下披2拂山林1經2營宮室。而恭臨2寶位1。以鎭2元元1。上則答2乾靈授レ國之德1。下則弘中皇孫養レ正之心上。然後兼2六合1以開レ都。掩2八紘1而爲レ宇不2亦可1乎。觀2夫畝傍山<畝傍山。此云2宇禰縻夜摩1>。東南橿原地1者蓋國之墺區乎。可治之』。
是月卽命2有司1。經2始帝宅1。
*『日本書紀』巻第三|神武天皇紀
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八紘為宇(ハッコウイウ):三月、辛酉の朔の丁卯の日。令を下して曰はく『我れ東(ヒムガシ)を征ちしより、茲に六年(ムトセ)になり矣。皇天(アマツカミ)の威(ミイキホヒ)を賴ふりて、凶徒(アタ)ども就戮れぬ。邊土(ホトリノクニ)、未だ淸らず。餘(ノコリ)の妖(ワザハヒ)なほ梗しと雖も、中洲(ウチツクニ)の地(トコロ)、復た風塵(サワギ)なし。誠に、宜しく皇都(ミヤコ)を恢め廓き、大壯(ミアラカ)を規り摹るべし。而るに今、運(トキ)・屯蒙(ワカククラキ)に屬ひ、民(オホミタカラ)の心朴素(スナホ)なり。巣に棲み穴に住む。習俗(シワザ)惟れ常となれり。夫れ大人(ヒジリ)の制(ノリ)を立つる、義(コトワリ)、必ず時に隨ふ、苟も民(オホミタカラ)に利(クボサ)あらば、何ぞ聖(ヒジリ)の造(ワザ)に妨はむ。且ち當に山林(ヤマハヤシ)を披き拂ひ、宮室(オホミヤ)を經め營りて、恭みて寶位(タカミクラヰ)に臨みて以て元々(オホミタカラ)を鎭め、上は則ち乾靈(アマツカミ)の國を授け給へる德(ウツクシビ)に答へ、下は則ち皇孫(スメミマ)の正しき道を養ひ給ひし心(ミココロ)を弘めむ。然して後に六合(クニノウチ)を兼ねて、以て都(ミヤコ)を開き、八紘(アメノシタ)を掩ひて宇(イエ)と爲むこと、亦た可からずや。夫の畝傍山(ウネビヤマ)の東南(タツミノスミ)、橿原(カシハラ)の地(トコロ)を觀れば、蓋し國の墺區(モナカ)ならむ。可治之(ミヤコツクルベシ)。<畝傍(ボウハウ)、此をば宇禰縻(ウネビ)と云う>』。
是月に卽ち命せて、帝宅を經り始む。
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紀元元年:辛酉年春正月庚辰朔。天皇卽2帝-位於橿原宮1。是歲爲2天皇元年1。尊2正妃1爲2皇后1。生2皇子神八井耳命。神渟名川耳尊1。故古語稱之曰下『於畝傍之橿原也。太3立宮2-柱於底磐之根1。峻2峙搏風於高天之原1。而始馭天下之天皇上』。號曰2神日本磐余彥火々出見天皇1焉。
*『日本書紀』巻第三|神武天皇紀
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紀元元年(キゲンガンネン):辛酉の春正月、庚辰の朔の日、天皇、橿原宮に帝位卽しめす。是の歲を天皇の元年と爲す。正妃を尊びて皇后と爲たまふ。皇子、神八井耳命・神渟名川耳尊を生めり、故れ古語に稱め申して、『畝傍(ウネビ)の橿原(カシハラ)に、底之磐根(ソコツイワネ)に宮柱(ミヤバシラ)太しき立て、高天原(タカマノハラ)に搏風(チギ)・峻峙(タカ)しりて、始天下(ハツクニ)馭す天皇(スヘラミコト)』と曰し、號を神日本磐余彥火々出見天皇(カムヤマト イハレヒコ ホホデミノ スヘラミコト)と曰す焉。
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共産黨宣言:一個の怪物がヨーロッパを徘徊してゐる。すなはち共産主義の怪物である。古いヨーロッパのあらゆる權力は、この怪物を退治するために、神聖同盟を結んでゐる。ローマ法皇もツァールも、メッテルニヒもギゾウも、フランスの急進黨もドイツの探偵も。[譯者註:メッテルニヒはオーストリーの宰相、ギゾウはフランスの首相。] 見よ。在野の政黨で、在朝の政敵から、共産主義的だといつて誹毀されないものがあるか。また見よ、在野の政黨で、他の一そう急進的な反對諸黨派に對して、ならびにその保守的な政敵に對して、共産主義の燒印をつけた詰責を投げ返さないものがあるか。 この事實から二つのことがわかる。 共産主義はあらゆるヨーロッパの權力者から、既に一個の勢力として認識されてゐること。 共産主義者が全世界の面前にその見解、その目的、その傾向を公然と表示し、黨自身の宣言をもつて、共産主義の怪物のお伽噺と對抗すべき時機が熟してゐること。 この目的のために、諸國の共産主義者がロンドンに集まつて、次の宣言を起草した。そしてそれをイギリス語、フランス語、ドイツ語、イタリー語、フレミッシュ語、およびデンマーク語で公表することにした。
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在來一切の社會の歴史は、階級鬪爭の歴史である。 自由民と奴隷、貴族と平民、領主と農奴、ギルド(同業組合)の親方と徒弟職人、一言にすれば壓伏者と被壓伏者とが、古來常に相對立して、或ひは公然の、或ひは隱然の鬪爭を繼續してゐた。そしてその鬪爭はいつでも、社會全體の革命的改造に終るか、或ひは交戰せる兩階級の共仆れに終るのであつた。 上古の諸時代にあつては、殆んど到る處に、社會を種々な等級に分けた複雜な排列法、社會的地位の種々雜多な區分が行はれてゐるのを見る。すなはちローマの古代には、貴族、騎士、平民、奴隷があり、中世には、領主、家來、親方、徒弟、農奴がある。そしてなほその諸階級の殆んどすべてに、またそれぞれの小區分がある。 封建社會の滅亡から發生した近世のブルジョア社會も、階級對立を除去してはゐない。ただ新しい階級をつくり、新しい壓伏條件をつくり、新しい鬪爭形式をつくつて、昔のに代へただけである。 けれども、我々の時代、すなはちブルジョアの時代は、この階級對立を單純化したといふ特徴をもつてゐる。全社會は次第々々に、相敵視する二大陣營、直接相互に對立する二大階級に分裂しつつある。すなはちブルジョアとプロレタリヤである…
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…要するに、共産黨は、到る處において、社會的および政治的の現状に反抗する各種の革命運動を擁護する。 すべてこれらの運動において、共産黨は常に財産問題を標榜してゐる。その財産問題の發達程度がどうであらうとも、彼らは常にそれを運動の根本としてゐる。 最後に、共産黨は到る處において、萬國の民主的諸黨派の團結と一致とのために努力する。 共産黨は、その主義政見を隱蔽することを恥とする。彼らは公然として宣言する。彼らの目的は、一切從來の社會組織を強力的に顛覆することによつてのみ達せられる。支配階級をして共産主義革命の前に戰慄せしめよ。プロレタリヤは、自分の鎖よりほかに失ふべき何ものももたない。そして彼らは、獲得すべき全世界をもつてゐる。 萬國のプロレタリヤ團結せよ!
*『共産黨宣言』大正十年五月(1848-1921):日本譯/堺利彦|幸徳秋水
・・・This battle is to be continued.
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『天壌無窮と世界革命』