廣瀬大忌祭|延喜式祝詞 訓読/正訓/原文
廣瀬大忌祭 ひろせのおほいみのまつり
廣瀬ひろせの川合かはひに称辞たたへごと竟をへ奉まつる 皇神すめがみの御名みなを白まをさく「御膳みけ持もたする若宇加わかうかの賣めの命みことと御名みなは白まをして 此この皇神すめがみの前まへに辞こと竟をへ奉まつらく 皇御孫命すめみまのみことの宇豆うづの幣帛みてぐらを捧ささげ持もたしめて 王おほきみたち・臣等まへつぎみたちを使つかひとして 称辞たたへごと竟をへ奉まつらく」を 神主かむぬし・祝部等はふりども諸もろもろ 聞きこし食めせ と宣のる。
「奉たてまつる宇豆うづの幣帛みてぐらは 御服みそは明妙あかるたへ・照妙てるたへ・和妙にぎたへ・荒妙あらたへ 五色物いついろのもの 楯たて・戈ほこ・御馬みうま 御酒みきは𤭖みかの閇へ高知たかしり 𤭖みかの腹はら満みて雙ならべて 和稲にぎしね・荒稲あらしねに 山やまに住すむ物ものは毛けの和にごき物もの・毛けの荒あらき物もの 大野おほぬの原はらに生おふる物ものは甘菜あまな・辛菜からな 青海原おほぬのはらに住すむ物ものは鰭はたの広ひろき物もの・鰭はたの狭せばき物もの 奥おきつ藻菜もは・辺へつ藻菜もはに至いたるまで 置おき足たらはして奉まつらく」と 皇神すめがみの前まへに白まをし賜たまへ と宣のる。
「かく奉たてまつる宇豆うづの幣帛みてぐらを 安やす幣帛みてぐらの足たら幣帛みてぐらと 皇神すめがみの御心みこころに平たひらけく安やすらけく聞きこし食めして 皇御孫命すめみまのみことの長なが御膳みけの遠とほ御膳みけと 赤丹あかにの穂ほに聞きこし食めして 皇神すめがみの御刀代みとしろを始はじめて 親王等みこたち・王等おほきみたち・臣等おみたち・天下あめのしたの公民おほみたからの取作とりつくる奥おきつ御歳みとしは 手肱たなひぢに水沫みなわ画かき垂たり 向股むかももに泥ひぢ画かき寄よせて取作とりつくらむ奥おきつ御歳みとしを 八束穂やつかほに皇神すめがみの成なし幸さきはへ賜たまはば 初穂はつほは汁しるにも穎かひにも 千稻ちしね・八千稻やちしねに引居ひきすゑて 横山よこやまの如ごとく打積うちつみみ置おきて 秋祭あきのまつりに奉たてまつらむ」と 皇神すめがみの前まへに白まをし賜たまへ と宣のる。
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「倭国やまとのくにの六むつの御縣みあがたの山口やまのくちに坐ます皇神等すめがみたちの前まへにも 皇御孫命すめみまのみことの宇豆うづの幣帛みてぐらを 明妙あかるたへ・照妙てるたへ・和妙にぎたへ・荒妙あらたへ 五色物いついろのもの 楯たて・戈ほこに至いたるまで奉たてまつる。...
かく奉たてまつらば 皇神等すめがみたちの敷しき坐ます山山やまやまの口くちより 狭久那多利さくながりに下くだし賜たまふ水みづを 甘水うまきみづと受うけて 天下あめのしたの公民おほみたからの取作とりつくれる奥おきつ御歳みとしを 悪風あしきかぜ荒水あらきみづに相あはせ賜たまはず 汝なが命みことの成なし幸さきはへ賜たまはば 初穂はつほは汁しるにも穎かひにも 𤭖みかの閇へ高知たかしり 𤭖みかの腹はら満みて雙ならべて 横山よこやまの如ごとく打積うちつみみ置おきて奉たてまつらむ」と...
「王等おほきみたち・臣等まへつぎみたち・百官人等もものつかさのひとたち 倭国やまとのくにの六むつの御縣みあがたの刀祢とね・男女をとこをみなに至いたるまで 今年ことしの某月それのつきの某日それのひ 諸もろもろ参出来まゐできて 皇神すめがみの前まへに宇事物うじもの頸根うなね築つき抜ぬきて 朝日あさひの豊逆登とよさかのぼりりに 称辞たたへごと竟をへ奉まつらく」を 神主かむぬし・祝部等はふりども 諸もろもろ聞きこし食めせ と宣のる。
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『祝詞正訓』安政5年(1858):平田鐵胤/謹書