大殿祭|延喜式祝詞 訓読/正読/原文
高天原に神留まり坐す 皇親神魯企・神魯美之命以ちて 皇御孫之命を天津高御座に坐せて 天津璽の鏡劔を捧げ持ち賜ひて 言寿ぎ<古語にコトホキと云ふ。寿詞と言ふは 今の寿觴の詞の如し>宣たまひしく
皇我宇都御子 皇御孫之命此の天津高御座に坐して 天津日嗣を万千秋の長秋に 大八洲豊葦原の瑞穂之國を安國と平らけく知し食せと<古語にシロシメスと云ふ> 言寄さし奉り賜ひて 天津御量以ちて 事問ひし磐根・木の立ち・草の可岐葉をも言止めて 天降り賜ひし食國天下と 天津日嗣知ろし食す皇御孫之命の御殿を 今奧山の大峡・小峡に立てる木を 斎部の斎斧を以ちて伐り採りて 本末をば山の神に祭りて 中の間を持ち出で来て 斎鉏を以ちて斎柱立てて 皇御孫之命の天之御翳・日之御翳と 造り仕へ奉れる瑞の御殿<古語にアラカと云ふ>汝屋船命に 天津奇護言を<古語にクスシイハヒゴトと云ふ>以ちて 言寿ぎ鎮め白さく
此の敷き坐す大宮地は 底つ磐根の極み 下津綱根<古語に番縄の類 之を綱根と謂ふ> 波府虫の禍無く 高天原は 青雲の靄く極み 天の血垂 飛鳥の禍無く 掘り堅ためる柱・桁・梁・戸・牖の錯ひ<古語にキカヒと云ふ>動き鳴る事無く 引結べる葛目の緩ひ 取葺ける草の噪き<古語にソソキと云ふ>無く 御床都比のさやぎ 夜女のいすすき いつちしき事無く 平らけく安らけく護ひ奉る神の御名を白さく
屋船久久遅命<是は木の霊なり>・屋船豊宇気姫命と<是は稲の霊なり。俗の詞に ウカノミタマ。今の世産屋に辟木・束稲を以ちて戸の辺に置き 乃米を以ちて屋の中に散らす類なり>御名をば称へ奉りて 皇御孫命の御世を 堅磐に常磐に護ひ奉り 五十橿御世の足らし御世に 田永の御世と福はへ奉るに依りて 斎玉作等が持ち斎まはり 持ち浄まはり 造り仕へまつれる瑞の八尺瓊の御吹きの五百都御統の玉に 明和幣<古語にニキテと云ふ>・曜和幣を附けて 斎部宿祢某が弱肩に太襁取懸けて 言寿ぎ鎮め奉る事の 漏れ落ちむ事をば 神直日命・大直日命聞き直し見直して 平らけく安らけく知し食せと白す
詞別きて白さく 大宮売命と御名を申す事は 皇御孫命の同殿の裏に塞り坐して 参入り罷出る人の選び知し 神等のいすろこひあれび坐すを 言直し和し<古語にヤハシと云ふ>坐して 皇御孫命の朝の御膳・夕の御膳に供へ奉る 比礼懸くる伴緒・襁懸くる伴緒を 手の躓・足の躓<古語にマガヒと云ふ>為さしめずて 親王・諸王・諸臣・百官の人等を 己が乖き乖き在らしめず 邪しき意・穢き心無く 宮進めに進め 宮勤めに勤めしめて 咎過在るをば見直し聞き直し坐して 平らけく安らけく仕へ奉らしめ坐すに依りて 大宮売命と御名を称辞竟へ奉らくと白す
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『延喜式』卷第八|神祇八|祝詞 延喜5年(905)〜延長5年(927)