中臣壽詞|延喜式外祝詞 訓読/正訓/原文
中臣壽詞 なかとみのよごと
現御神あきつみかみと大八嶋國おほやしまくに知しろし食めす 大倭根子おほやまとねこ天皇すめらが御前みまへに 天神あまつかみの壽詞よごとを称辞たたへごと定さだめ奉まつらくと申まをす。
「高天原たかまのはらに神留かむづまり坐ます 皇親すめらがむつ神漏岐かむろぎ・神漏美かむろみの命みことを持もちて 八百万やほよろずのの神等かみたちを [神かみ]集つどへ賜たまひて 『皇孫尊すめみまのみことは 高天原たかまのはらに事始ことはじめて 豊葦原とよはしはらのの瑞穂みづほの國くにを安國やすくにと平たいらけく知しろし食めして 天あまつ日嗣ひつぎの天あまつ高御座たかみくらに御坐おほましましして 天あまつ御膳みけの長なが御膳みけの遠とほ御膳みけと 千秋ちあきの五百秋いほあきに 瑞穂みづほを平たいらけく安やすらけく 由庭ゆにはに知しろし食めせ』と 事依ことよさし奉まつりて...
天降あまくだり坐ましし後のちに 中臣なかとみの遠とほつ祖おや天児屋根命あめのこやねのみこと 皇御孫尊すめみまのみことの御前みまへに仕つかへ奉まつりて 天忍雲根神あめのおしくもねのかみ 天あまの浮雲うきぐもに乗のりて 天あまの二上ふたのぼりに上のぼり坐まして 神漏岐かむろぎ・神漏美かむろみの命みことの前みまへに受うけけ給たまはり申まをしに 『皇御孫尊すめみまのみことの御膳みけつ水みづは うつし國くにの水みづに 天あまつ水みづを加くはへて奉まつらむと申まをせ』と 事教ことをしへ給たまひしに依よりて...
天忍雲根神あめのおしくもねのかみ 天あまの浮雲うきぐもに乗りて 天あまの二上ふたのぼりに上り坐まして 神漏岐かむろぎ・神漏美かむろみの命みことの前みまへに申まをせば 天あまの玉櫛たまぐしを事依ことよさし奉まつりて 『此この玉櫛たまぐしを刺立さしたて 夕日ゆふひより朝日あさひの照てるに至いたるまで 天あまつ詔戸のりとの太詔刀言ふとのりとごとを以もちて告のれ。かく告のらば 麻知まちは弱蒜わかひるにゆつ五百篁いほたかむら生おひ出いでむ。其その下しもより天あまの八井やゐ出いでむ。こを持もちて天あまつ水みづと聞きこし食めせ』と 事依ことよさし奉まつりき」。
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「かく依よさし奉まつりし任任まにまに 聞きこし食めす由庭ゆにはの瑞穂みづほを 四國よくにの卜部等うらべども 太兆ふとまにの卜事うらごとを持もちて仕つかへ奉まつりて 悠紀ゆきに近江國あふみのくにの野洲やす 主基すきに丹波國たにはのくにの氷上ひかみを斎いはひ定さだめて 物部もののふの人等ひとども・酒造児さかつこ・酒波さかなみ・粉走こばしり・灰燒はひやき・薪採かまぎこり・相作あひづくり・稲実いなのみの公等きみら 大嘗會おほにえの斎場ゆにはに持もち斎ゆまはり参来まゐきて...
今年ことしの十一月しもつきの中なかつ卯日うのひに ゆしり・いづしり持もち 恐かしこみ恐かしこみも清きよまはりに仕つかへ奉まつり 月つきの内うちに日時ひときを撰えらび定さだめて 献たてまつる悠紀ゆき・主基すきの黒木くろき・白木しろきの大御酒おほみきを 大倭根子おほやまとねこ天皇すめらが天あまつ御膳みけの長なが御膳みけの遠とほ御膳みけと 汁しるにも実みにも 赤丹あかにの穂ほにも聞きこし食めして 豊明とよのあかりに明あかり御坐まして 天あまつ神かみの壽詞よごとを [天あまつ社やしろ・国くにつ社やしろと]称辞たたへごと定さだめ奉まつる皇神等すめがみたちも 千秋ちあき五百秋いほあきの相嘗あひにへに相あひうづのひ奉まつり 堅磐かきはに常磐ときはに斎いはひ奉まつりて いかし御世みよに栄さかえしめ奉まつり...
康治かうぢの元年はじめのとしより始はじめて 天地月日あめつちつきひと共ともに 照てららし明あからし御坐ましまさむ事ことに 本末もとすゑ傾かたぶけず茂いかし槍ほこの中なか執とり持もちて仕つかへ奉まつる 中臣なかとみ祭主いはひぬし正四位上行おほきよつのくらゐのかみつしな神祇大副かみつかさのおほいすけ 大中臣朝臣清親おほなかとみのあそみきよちか 壽詞よごとを称辞たたへごと定さだめ奉まつらく」と申まをす。
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又また申まをさく「天皇すめらが朝廷みかどに仕つかへ奉まつれる 親王等みこたち・王等おほきみたち・諸臣おみたち・百官もものつかさの人等ひとたち 天下あめのした四方よもの國くにの百姓おほみたから 諸諸もろもろ集うこなはり侍はべりて 見み食たべ 尊たふとみ食たべ 歓よろこび食たべ 聞きき食たべ 天皇すめらが朝廷みかどに 茂いかし世よに 八桑枝やくはへの[如ごとく]立栄たちさかえ仕つかへ奉まつるべき 祷おぎことを聞きこし食めせと 恐かしこみ恐かしこみも申まをし給たまはく」と申まをす。
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『祝詞正訓』安政5年(1858):平田鐵胤/謹書