神祇官図/八神殿
平安京大内裏|神祇官図
神祇官|八神殿
神祇官西院坐御巫等祭神
御巫祭神(ミカンナギノマツルカミ)八座
第一殿→ 神産日(神魂)神(カミムスビノカミ)
第二殿→ 高御産日(高御魂)神(タカミムスビノカミ)
第三殿→ 玉積産日(生魂)神(タマツメムスビノカミ)
第四殿→ 生産日(足魂)神(イクムスビノカミ)
第五殿→ 足産日(魂留魂/玉留魂)神(タルムスビノカミ)
第六殿→ 大宮賣(大宮女)神(オオミヤノメノカミ)
第七殿→ 御食津(御膳都)神(ミケツカミ)
第八殿→ 事代主(辞代主)神(コトシロヌシノカミ)
座摩巫祭神(イカスリ/ザマノミカンナギノマツルカミ)五座
生井神(イクヰノカミ)
福井(栄井)神(サクヰノカミ)
綱長井神(津長井)(ツナガヰノカミ)
阿須波神(アスハノカミ)
波比祇(婆比支)神(ハヒキノカミ)
御門巫祭神(ミカドノミカンナギノマツルカミ)八座
四面門各一座→ 櫛石窓(櫛磐間門)神(クシイワマドノカミ)
四面門各一座→ 豊石窓(豊磐間門)神(トヨイワマドノカミ)
生嶋巫祭神(イクシマノミカンナギノマツルカミ)二座
生島神(イクシマノカミ)
足島神(タルシマノカミ)
*神名:延喜式神名帳
「...大治2年(1127)2月14日午後2時ごろに火災が起き、八神殿などが焼失した(『百錬抄』『中右記』)。「正体」については元より存在しなかったという(『百錬抄』)。神祇官によって仮殿造営。大治5年に再建されたという。 長和3(1014)年書写の「神祇官西院指図」によると、当時は八神殿は東端にあって西面していたことが知られるが、のちの『大内裏図考証』などによると西端にあって、東面していたことが描かれている。そして、仁安3年(1168)には東向きになっていることが史料から判断できる。その間に火災の記録はないことから、大治2年(1127)の火災からの再建のときに西向きから東向きに変更されたのではないかと推測されている …安元3年(1177)4月28日、大極殿など平安京内に重要な施設を焼き尽くした稀代の大火災が起こるが、神祇官八神殿もこの火災で焼失する。このとき「正体」を焼失したことが当時の記録に記されている(『玉葉』など)。6月9日に本官によって造営された仮殿に遷座した(『顕広王記』)…鎌倉時代には貞応1年(1222)(『百錬抄』)、正安年間(1299-1302)、正和年間(1312-1317)(遷宮註文)に修理造営したことが知られている。その後、暦応3年/興国1年(1340)(『玉英』)、応永14年(1407)に修理造営している …応仁元年(1467年)に始まり、10年間続いた応仁・文明の乱によって、平安京の市街地は壊滅的な被害を受け、神祇官も焼失するに至った…..」
*『神殿大観/神祇官神殿』(http://shinden.boo.jp/wiki)より転載
-----
*参考図書
『古事類苑 第6冊』国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)pp.446-450
『神祇官図外諸図』故実叢書 明治34年(1901):内藤広前/編著
『大内裏図考證』故実叢書 寛政9年(1797):裏松光世(固禅)/編著
『神祇官西院指図(長和三年矢田部清栄写)』神道史研究 平成16年(2004):安江和宣/著
*画像DL
大内裏図|『皇城大内裏地図』寛延3年(1750):森幸安/書写
国立公文書館デジタルアーカイブ(www.digital.archives.go.jp)
神祇官図|所蔵地図データベース(tois.nichibun.ac.jp)年代不明:国際日本文化研究センター/所蔵
八神殿図|『神祇官考證』明治33年(1900):佐伯有義/著
国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)p.33
国文学研究資料館(http://www.nijl.ac.jp):大和文華館/所蔵